思考回路

Views: 18

言語化
今の私の個人的テーマは、思考の言語化。 感想文を書いているのもその訓練の一つ。まあ叫ばずにはいられないというのもある。私には、「自分の考えというものがない」という思いがあって、ある種のコンプレックスになってる。 だから、自分の言葉で語れる人は凄いなって思う訳よ。 私は、自分の考えを言語化出来る人はマジで凄いと思ってる。 知識を披露するんじゃなくて、「考え」を述べるのって、頭の使い方が違うと思う。 「自分の言葉で語ってる」ように見えても、借り物の言葉、聞きかじったこと、誰かの受け売りをいている人はいずれ分かる。 どこか薄っぺらかったり、矛盾したりする。時の経過で思考が変化するんじゃなくて、その時々で矛盾する。 概念を消化して出てくる言葉は違ってる。 このあたりは仮定。推測。 所謂オタクトークでも、その界隈の主流に乗っかってるだけの言葉と、その人が解釈などして出てくる言葉は違うと思う。 結局、本当にそれが好きで語ってる人の言葉は、重みや響きが違うんだよな。 ただ、私にはそれを読み取る力がまだまだ不足している。 人間関係を築いてこなかった弊害かもしれないが、逆に一般論でお茶を濁すやり方に汚染...
語り合わなければわかり合えないものでも無いし、わかり合うことは必須ではない。 それでも肝心なところは通じ合ってる。 そういう関係性が好きなのかもしれない。 (拳で)語り合った後に生まれる友情も良い。だがそれは必須ではない。 余計なことを言わないのも友情。 (友情もまた便宜上の言葉) 私が「いーちゃんと零識との関係性」が好きなのも、そこが理由か。 成る程な。 自分が書いているモノ・書きたいモノと、自分の読者としての好みが乖離してきてる気がするな。 別にそれで困ることはないがね。
他者理解
私は、「他者を理解できる」とは思っていない。詳述はしないが。 だが、見えたモノは大体そのまま受け取っているつもりだ。そこは、こちらの勘違いやらあるかもしれないけど、余計な解釈はしてないつもり。 理解せずとも、その存在をただ受け入れることは出来ると思っている。 作品への感想が碌に言えないのは理解力不足もあると思ってる。 単に、作品を前にして語彙力が低下しているというのもある。
読書のタイミング
本は、出会うべきタイミングで出会い、読むべきタイミングで読むものなんだな。 自分なりの美学・美意識(どちらも便宜上の言葉選び)を言語化しようとしているこの時にONE PIECEを読み始めたのは、ちょうど良かったかもしれない。 学生時代に流行に乗って読んでも、こんな風には読めなかった。 買って置いたわけではないが、これも読むタイミングを待つ一種の積ん読かも。 そういう意味で話ハガレンも、読んだ過去を否定するわけじゃないが、「今」初めて読んだとしたら、そういう読みが出来たのだろう。 どんなタイミングで読もうと、自分の中の何かとかみ合ったときは、それが最良のタイミングだと今思っている。 逆に、良策でもタイミングが合わなければ、「面白い」と思っても「響かない」別のタイミングで読めば「面白い」と思う作品も、少しタイミングがズレただけで「つまらない」と感じてしまう。 自然と惹かれる作品は、そのタイミングなのだろう。
タイトルとURLをコピーしました